ほき4日記

つまひとり、こふたり、さらりーまん・ほきのへーぼんな日常。

東から西へ

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土肥実平の子孫が相模国土肥郷北部(神奈川県小田原市)の小早川に住み、小早川氏を称した。
源平合戦の功で安芸国沼田荘(広島県三原市)の地頭となった。

承久の乱の功により駿河国入江荘吉川(静岡県静岡市清水区)を領していた吉川氏は安芸国大朝荘(広島県北広島町)の地頭となった。

大江広元の子孫が鎌倉時代相模国毛利荘(神奈川県厚木市)を所領とし、毛利氏を称した。
後に安芸国吉田(広島県安芸高田市)の国人領主となった。

律令制以降、西から東へ統治が拡大して行きましたが、鎌倉期にはこうやって東から西に支配が進んでいった訳ですね。

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