ほき4日記

つまひとり、こふたり、さらりーまん・ほきのへーぼんな日常。

「秀」

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宇和島藩の祖・伊達秀宗も長子でありながら、仙台藩を継承しなかったことを思い出しました。

兄弟であっても弱肉強食の戦国の世から、泰平の江戸時代での長子相続に掛けて大名の相続の考え方は随分と変化しましたね。

この伊達秀宗はその狭間にあたる時期の人です。
伊達政宗の正妻の子ではありませんが、長子として生まれ、豊臣秀吉の元に人質として送られます。
譜代の家臣の少ない秀吉はこうやって自分の所に送られてくる若者達に「秀」の字を与え、可愛がります。

あのまま豊臣政権が続いていたらどうなっていたか…。

父と子、兄と弟で深い確執があったんでしょうねぇ。

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