ほき4日記

つまひとり、こふたり、さらりーまん・ほきのへーぼんな日常。

地方知行

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父の「仙台伊達家の家臣だった!」という話が気になり、いろいろ見て回りました。

角田の石川家は仙台藩の中では角田要害2万1830石を領し、一門筆頭だったそうです。
石川氏は清和源氏で伊達氏は藤原北家なのに「一門」だった、というのは石川昭光が伊達晴宗の四男だったからですね。

仙台藩には仙台城の他に白石城があってこれは一国一城令の対象外とされていたそうです。
その他、表向きには城ではない「要害」というものがあり、これが領内に21箇所あったそうです。

一門筆頭で要害を地方知行していた、という石川家のお膝元にいた訳ですから「仙台伊達家の家臣だった!」というのはどうも眉唾っぽいですね。
「角田石川家の家臣で、仙台伊達家の陪臣だった!」というのが本当の所ではないかと思います。

仙台藩戊辰戦争時に反新政府側の奥羽越列藩同盟の盟主であったため、その結果、大幅に減封され、多くの家臣が北海道開拓に渡ったそうです。
この時、角田石川家主従は室蘭郡に入植し、その後に空知地方に入植したそうですから、遠い親戚がこの辺りにいるかも知れません。

京都に始まり、奈良から福島、その後、宮城へと驚きの連続です。
明治になってからは北海道に渡った人たちもいて、私の父は宮城から埼玉に来て、私は埼玉から中国地方に移ってきて…。

うちにも時空を超えた壮大な大河ドラマがあったんだなぁ~。

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