ほき4日記

つまひとり、こふたり、さらりーまん・ほきのへーぼんな日常。

KARAJ PRAPATROJ

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歴史豊かな環境にいると、色々興味が湧いてきます。

例えば、私の姓。
調べてみると清和源氏の流れを汲む大和源氏の末裔なのだそうです。

自分の先祖が京都や奈良にいた?ということを考えると埼玉出身の私としては不思議な感じがします。

その後、源頼義に従って奥州に下り、前九年の役に従軍しました。
その時の軍功によって今の福島県南部・磐城国白河郡を賜り、石川郷を本拠として石川氏を称したのだそうです。
源頼朝の伊豆挙兵では鎌倉に参陣しました。

はぁ、石川?
身の回りに石川さんて何人かいたけど、遠い遠い親戚だったのかな?

鎌倉前期に石川氏は一族・庶流の分立が進んだそうで、私の姓もこの頃に使われてきたようです。
当時の分割相続の中で生まれてきた訳ですね。
時代によっては石川一族の結束は強固ではなかったそうですが、基本的には私の先祖も惣領・石川氏と共に歴史を歩んでいったものと思います。
以下、石川氏の歩みです。

石川氏は新田義貞に従って倒幕するも、建武の親政では冷遇され、奥州に下ってきた北畠顕家に領地を奪われてしまいます。
そこで足利尊氏北朝に付き、湊川の戦いに参戦しますが、当主はそこで討ち死にしてしまいます。
その後、南朝・結城氏との間で旧領奪還の争いが激化します。

うわっ、大変だったんだなぁ~。
一族そろって路頭に迷う訳ですからね。

室町後期には伊達晴宗の四男を養子に迎える(石川昭光)も伊達政宗と共に小田原に遅参した為、豊臣秀吉は領地を蒲生氏郷に与えてしまいます。
この後、伊達家に仕え、宮城県南部の角田の領主となります。

この時、一族の中には昭光に従って角田に移ったものがいたそうです。
私の父親が角田の出身なので、鎌倉以来、惣領・石川氏と共に歩んできた末裔だったんでしょう。
父親がよく「うちは仙台伊達家の家臣だった!」といっていたので、あながち嘘ではなかったようです。

こうやって見てみると大河ドラマが身近に感じます。
頑張ってたんだなぁ、ご先祖様。

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