ほき4日記

つまひとり、こふたり、さらりーまん・ほきのへーぼんな日常。

国道54号

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今日は「尼子巡り」に行ってきました。

メインの目的地は月山富田城です。
広島市内から国道54号で宍道湖まで行き、そこから国道9号で湖畔を東進し、松江から国道432号で富田城の正面に出る、というルートで向かいます。
10時過ぎに家を出た時点でカーナビの到着予想時刻は18時過ぎでした…。

ともかく、毛利元就のことを知るほどこの国道54号・出雲街道が馴染み深くなります。
沿道にゆかりの地が幾つもありますので。

スタートは毛利輝元が築城した広島城です。

北上して太田川を渡ると目の前に武田山が見えます。
武田山は元就が初陣で倒した武田元繁の本拠・佐東銀山城があった所です。

右手に桂元澄の居城だった桂城が見えます。

間もなく毛利氏の居城だった吉田郡山城が見えてきた頃、ちょうどお昼になりました。
近くのスーパーでお弁当を買い、更に北上を続けます。

赤名トンネルを抜けると安芸国から出雲国に入ったことになります。
尼子氏が毛利・郡山城を攻めたり、大内氏が尼子攻めをした時にこの峠を多くの軍兵が行き来したんですよね…。

赤名・来島・頓原・掛合・三刀屋を通り、斐伊川を渡ります。

更に北上すると宍道湖畔に出ます。
左手に宍道湖を見ながら東進すると湖の向こう側に松江の町が見えてきます。
はるか小高い丘の上に松江城天守らしいものが見えます。
その辺りが後年の元就の富田城攻めの本拠地だったそうです。

松江市内から細くて急なカーブの山道がある国道432号を通って安来市に抜けます。

目の前にお椀を逆さにした様に形のキレイな月山と飯梨川が見えてきます。
松江の城下町ができる前はこの辺りが出雲で一番栄えた町だったそうですが、今はのどかなところです。

さて、いよいよ月山富田城に登ろう、という訳ですが上り口が分かりません。
時間も15時30分を回り、今にも小雨が降りそうな曇天です。

尼子晴久の墓を見つけたのでお参りしました。
その後の支配者の歴史もあるでしょうが、山陰にその名を轟かせた大大名の墓としては想像を超えてひっそりとしたものでした。

すぐ近くに道の駅・広瀬富田城があり、観光案内などを見てみると最近この付近でクマが出没するとのこと。
もうしばらくすると暗くなりそうですし、ぶっそうなので山頂に行くことはあきらめました。

新宮党の館跡が近くだったので行ってみましたが、月山のすぐ麓で、山に挟まれた小さな細い谷でした。
新宮谷については何度か読み物で知ってはいましたが、実際に来てみてなるほどこんな所だったのか、と合点がいきました。

うちの家族も飽きもせず(飽きていると思います…)よくぞお父さんの思いつき旅に付き合ってくれています。
ありがたい限りですが、近いうちに三原・竹原に小早川巡りしたいです(笑)

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