ほき4日記

つまひとり、こふたり、さらりーまん・ほきのへーぼんな日常。

BESTOGXARDENO

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ふとしたときに思い出します。
あの子達は今頃どうしているかなぁ、と。

私は学生時代にいろいろアルバイトをしていましたが、その中で熱心にやっていたのは中学生向けの塾講師でした。
大学時代、サークル活動よりも塾講師の仲間と一緒にいる方がはるかに長い時間でした。

大学1年の時にいた塾は先生が3人程度で、自宅と学校からの交通の便が悪く、友達に聞いてみるとかなり時給が低いところでした。
大学2年の夏頃に大手の別の塾に移りましたが、そこは乗換駅の周りに幾つかの教室が点在し、先生も数十人もいる大きなところでした。

塾の講師は一見時給が高くて割の良いバイトに見えますが、実際は時給が支払われるのは講義の時間のみで、授業の予習や教材の準備や居残り学習、テストの採点、進路相談、模擬面接授業といった時間はお金にならず、やればやるほど実質の時給が下がっていく性質があります。

私自身は子ども達に勉強を教えるのは嫌いではなかったし、気の会う先生仲間も何人かいたのでそれこそサークル活動感覚でやっていました。

ひと学年が10ランク以上に成績分けされ、私の様に2年生の夏頃に入ってきた中途半端な講師は大抵下の方のクラスを受け持つことになります。
実際、何層もの篩にかけられかけられ、下の方のクラスに入った子達はなかなか大変です。
勉強なんか好きでも楽しくも無いし、小学校からとっくに分からないし、親が行けっていうから来ているだけだし、別の学校の友達とおしゃべりできるし、授業も聞かないし、宿題もしないし、…。
高校受験は厳しそうだなぁ、という、まぁそんな感じです。
先生方はみんな「動物園クラス」と呼んで距離をおいていました。

そんな動物園の3年生クラスを担当していた訳ですが、子ども達は成績が芳しくないことを除けば明るくていい子ばかりでした。
ただ隣同士でおしゃべりしたりじゃれあったり、授業そっちのけでした。
こちらとしては彼らに負けないよう、冗談で笑いをとったり、クイズをしたり、注目させるのに必死で、それはもう体力的にも精神的にも厳しい時間でした。

或る時、大事な用事があり、友達の講師に代講をお願いしました。
彼は普段、上から4番目程度のクラスを担当しています。
その辺りは頑張って地元の進学校に進もう、というモチベーションも高い子が出てくる所です。

代講の翌週、2週間振りにそのクラスに入っていくと子ども達が不安そうに集まってきました。

「俺達が不真面目だから先生が辞めちゃったと思った」
「もう先生は代わらないでね」
 等など。

代講講師の授業で「お前らはこんなことも覚えられないのか!」と散々けなされたようなのです。
ひどい話です。

その一件以来、みんな授業中は静かに私の授業を聞くようになりました。
ノートもしっかり取って、ここがポイントだよ、と言えば赤鉛筆でグリグリと印を付けて…。

実際の受験は皆大変だったのですが、行くべく所に進学していきました。

私は大学4年になるタイミングで就職活動と卒論に専念する為にこのアルバイトを辞めました。
とても得がたい経験をさせて貰ったと思います。

今でも話がくどくて教え好きな自分の姿を自覚するといつもあの時のことを思い出します。
私の今のキャラクターはあの子達に形成された部分が大きいんだなぁ、と。

そして今頃は就職しているであろうあの子達を思い出します。
今頃どうしているかなぁ、と。

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